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蛍光灯、ランニング、カレーライス、あんぱん‥‥②

島根県邑智郡沢谷村に到着し、県道沿いにある「万屋」近くのバス停に降りると、親父が笑顔で待っていた。右脇に抱えさせられた大家さんへのお土産を差し出そうとすると、「お前が持っていけ」と言われた。バス停から少し歩き、山の方へと向かう坂道を上がると、二・三軒の農家が固まって建っていた。その中の一軒、最も大きな農家の裏庭へと入る小道を右手に二階建ての納屋を見ながら入っていった。鶏の羽音と鳴き声が、少しひんやりとした裏庭の空気を揺らしていた。

広い土間に足を踏み入れると、右手に牛が顔を出していた。牛の糞の臭いが目と鼻を刺した。牛の穏やかな目つきを、茫然と見つめていると、「いらっしゃい」と、お年寄りの声がした。親父に腕を突付かれ、くるりと向きを変えながら、「こんにちは~」とできるだけ大きな声を出してみた。ほの暗く、ひんやりとしたその場には似つかわしくないほどの大きな声だった。大家のお婆さんは、牛の向かい側の囲炉裏の側に、ちんまりと座布団に座っていた。二言三言言葉を交わしながら、大きく平たい石の上に靴を脱いで上がると同時にお婆さんは立ち上がり「今、お茶をね」と、一段と暗い所へと消えていった。そこで初めて、「ここで暮らすんだ~」と僕は思い、どこでどんなご飯を食べるんだろう、と不安になった。そして、ショックを一度に受けないようにするために、あまり周囲を観察しないことにした。

ちょっとした興奮状態のまま、お婆さんが運んできたお茶と饅頭を口に運んでいると、親父がまた肘を突付いた。僕は慌てて、右側に置いたままのお土産をお婆さんに向けて押し出した。「お土産です」「つまらないものですが」親父がフォローする。その後だった。僕が迷宮に入ったのは。

お婆さんが、にこやかにお土産を手元に引き寄せながら、「だんだん」と言ったのだ。僕は、何が起きたんだ、と思った。だんだん、段々、つまり階段だと思った。周囲を見回した。どこにも階段は見当たらない。そこにもう一度、「僕、僕!だんだん」という声。お婆さんは、あくまでもにこやかだ。僕は、お婆さんと親父を交互に見ながら、腰を浮かしていた。親父もにこやかなのが不気味だった。

世界遺産に指定された石見銀山や山陰の小京都津和野がある島根県西部を石見地方、松江や宍道湖や出雲大社がある島根県東部を出雲地方と言う。この二つの地方、小さな県内で接しているというのに言葉が全然異なる。松本清張の「砂の器」で広く知られるようになったが、出雲弁は、ほとんど東北弁と同じ。石見弁は、広島弁に極めて近い。考古学者江上波夫博士の「騎馬民族征服説」に後年接し、東北へと追われた先住民の一部が出雲に残ったという理解が成立することに気付いた。

邑智郡は、その石見地方と出雲地方の境界線辺りに位置する。したがって、二つの言語が交差する土地なのだ。ずっとどこか漠然としている僕に、「だんだん」とは「ありがとう」ってことだよ、と親父が教えてくれた時、僕は今度は違う衝撃に気を奪われていた。親父が連れて行ってくれた僕たちの部屋は、なんと右手に見ながら庭へと入ってきた、あの納屋の二階だったのだ。鶏がバタバタと飛び交う間を抜けるようにして階段を上がっていく時、僕は心の中で誓った。「浜田に帰ろう。ここを、逃げ出そう」。

   60sFACTORYプロデューサー KSKKY(柿本)

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