« 1963年。秋の夕暮れ。 | トップページ | 仲間はいいな。 »

昭和30年代、貧しい時代だったのに‥‥。

北極圏に棲息するレミングは、別名タビネズミと言われるとおり、餌場を求めて集団で移動をするネズミで、個体数が増えると次々と海に飛び込み、集団自殺することで有名だ。次の世代の豊かな暮らしのために、命を投げ出すのである。まだ謎の部分も多いようだが、その習性を知った時は驚いた。中学生の頃だったと思う。しかし、10代も終わりの頃になると、ヒトという動物もレミングのような習性があるのでは‥‥、と思うようになった。前の世代の大きな犠牲や破壊の後に、必ず建設・繁栄の時代が訪れ、繁栄を極めて個体数が激増すると、また破壊と殺戮の時代が訪れる。文明と文化は織り成すようにして、破壊の時代と建設・繁栄の間に生まれ育ち、消え去っていく。ちょうど氷河期がやってきて絶滅があり、間氷期に繁栄があるように‥‥。

僕たち団塊の世代(ベビーブーマーは、世界中に存在する)は、戦後の建設を担うには遅すぎ、繁栄の絶頂で迎える破壊の時代には早すぎた世代。次々とできあがっていく装置を動かすエネルギーと、そこから生産されたものを消費するエネルギーで繁栄に弾みをつける役割を担った世代だったようだ。「お山の若大将」が多いのも、大きくまとまった経験がなく、せいぜい「同好の士集団」しか形成したことがなかった「大消費文化世代」だからのように思う。建設と破壊は、大きな組織形成を必要とするが、消費には必要ない。‥‥。‥‥。

昭和30年代は、民族全体が一つの組織を組んでいたような時代。そんな時代は、政府と役人の時代。暮らしがよくなっていくためには、目標を共有しなくてはならない、という潜在意識がみんなにあったような気がする。そんな、ある種の連帯感と、上向いていく暮らしがあった時代の少年には、貧しさも通過点にしか感じられず、苦しさや惨めさを感じさせるものではなかった。「貧乏人じゃの~」と口に出しても、それは深刻な苛めや卑下の言葉とはならなかった。いい時代だった。建設現場の賑わいと雑多感があった。多少の汚れや傷は気にならなかった。貧しかったのに、だ。

そんな30年代。多くの引越しをして(島根県の西部だけだが‥)、いろんな暮らしに出会った。その思い出話も、これから時々してみようと思う。

|

« 1963年。秋の夕暮れ。 | トップページ | 仲間はいいな。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/207308/7061484

この記事へのトラックバック一覧です: 昭和30年代、貧しい時代だったのに‥‥。:

« 1963年。秋の夕暮れ。 | トップページ | 仲間はいいな。 »