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介護される側の視点④ーボーダーラインの設定

自分では何もできないくせに、贅沢言うな。という声が、聞こえてきそうな気分にいつも支配されながら、それでも、いろいろとお願いせざるを得ないことに、時には苛立ち、時には悲しくなる‥‥。介護される側の心理の一端である。しかし、弱者にもやがて権利意識が生まれる。これが実は厄介な代物だ。言わば、反転作用。弱者の悲哀を味わった上での権利意識は、傲慢なほど強いものになりがちだ。面倒なことを巡る意識の落差は、感情的な衝突の温床になる。そして、小さな衝突の繰り返しは、暮らしからまろやかさを消し去っていく。

グレイゾーンは、こうして次第に広がり、埋めがたい溝になってしまうのだと思う。脳出血や脳梗塞は、完全な回復はありえない(もちろん、重さにもよるが)と考えるべきであるがゆえに、長期にわたって関わってこざるを得ない問題だ。Quality Of Lifeの観点から見ても大きな問題である。肉体的な疲労より、QOLの低下の方が、生きる気力を奪っていくものだと、僕は思う。QOLは、暮らしを共にする者の共同作業によって守るべきもの。介護のグレイゾーンを狭めていく作業も、まずは、コミュニケーションから始まる。

介護で大切なのは、「ムラがないこと」。まず、そこに留意しなくてはならない。介護される側からすると、「いつもしてもらえること」は、行動に中に組み込んでおきたい。介護する側の気分で。「してもらえたり、もらえなかったり」だと、段取りが組めなくなる。安心もできない。どちらが手を出すことか、小さく決めていくのは難しいとしても、あいまいになりがちなことは、きちんと話し合った方がいいだろう。要するに、境界線の設定である。特に、グレイゾーンの境界線は動いていくものだけに、回復の度合い、介護者の疲労度等によって微妙に変化することを認め合っておく必要がある。そして、「明日は、自分でやってね。できる?大丈夫?」「ちょっと、やってもらいたいなあ。今日は調子がよくない」などと、声を掛け合い、微妙に境界線を踏み越えあうべきだろう。境界線を決め、それでいて頑なにこだわり過ぎない。それがコツと言えばコツかもしれない。

60sFACTORYプロデューサー KAKKY(柿本)

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