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介護される側の視点①ーボランティアとビジネス

2006年9月初頭、残暑厳しいある日の夕刻、僕は脳出血に倒れた。それから、9ヶ月半。左半身不随の病床から、リハビリ専門病院を経て、今は何とか30%程度の社会復帰。約30年間生業としてきた企画やコピーの仕事に少しばかり携わりつつ、倒れた時に準備中だった60sFACTORYを何とかすべく、エネルギーを費やしている。医者の見立てでは、僕の脳出血、病の重さとしては中の中程度だったらしいが、それでも、寝たきり2週間、車椅子約1ヶ月、早い方だと言われながら立ち上がり、連日約4時間のハードなリハビリを経て、やっと覚束ない足取りで歩けるようになった。杖は手放せない。左腕はまだ言うことを聞かず、肩から腕にかけて時折固まってしまい、強い痛みを感じることもある。要するに、まだまだリハビリの日々なのである。

生涯初めての本格的な入院の間、いろいろなことを考えた。身辺に大きな変化もあった。起きざるを得ないことと思いつつも、受け入れがたいことも多々あった。そして、介護される側に回ってみて、これから本格的に始まる介護社会(決して大げさではない)に対する認識に微妙な変化も起きた。

コムスン、年金がニュースの中心になっている今、しばらく断片的にではあるが、介護される側で感じたことを語ってみたい。介護する側の向こうに、介護される側の人たちの語られることのない声が多く存在していることに気づいたからだ。

まずは、介護ビジネスに関して。コムスンやグッドウィルに関しては、また述べるとして、「介護で稼ぐとはけしからん」と言わんばかりの良心ぶったマスコミのスタンスは、極めて表層的で幼稚で腹立たしいので、僕が一度実感したことを例として提示しておきたい。

車椅子から離れられない時期のことだった。歯の治療が必要(脳出血の後、歯を含め、身体の悪い部分が噴出した)となり、歯医者にレントゲンを撮りに行く時のこと。車椅子を押してくれる女性スタッフに大変な苦労をかけた。歯医者は隣のビルにあるとはいえ、表に出て、エレベーターに乗り、歯医者の玄関から治療室に入るまで、いくつかの大きな起伏を乗り越えなくてはならない。太ってはいないが、170センチ、58キロの男を乗せた車椅子を操るのは容易ではなかった。僕は、心苦しく、「大丈夫ですか?」「すいませんねえ」と、何度も言っていた。こうやって人に迷惑をいっぱい掛けることになるんだなあ、と、いささか湿った気分にもなっていた。

病院の入り口近くまで帰って来た時である。入り口のアンジレーションに車椅子が引っかかった時の、僕の数回目の「すいませんねえ」に、突然「いいんですよ」とは違う答えが返ってきた。「柿本さん、気にしなくていいんですよ。ボランティアでやっているわけではありませんから。私の仕事ですから」。明るい声だった。僕は、不意を突かれた気分だった。そして、一気に気が楽になった。ありがたいと思った。

それだけの話である。ただ、忘れられない、象徴的な出来事ではあった。

  60sFACTORYプロデューサー  KAKKY(柿本)

  60sFACTORY週間活動日記は、こちら

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