CVS(コンビニエンスストア)物語-ビジネスモデルの変遷②

小型店出店の必要性を感じていたスーパー各社は、70年代前半からそれぞれの戦略を構築し、トライアルを始めていた。

海外との提携という方法を採ったのがイトーヨーカドーとダイエー、独自の戦略を構築しようとしていたのが西友だった(西友だけが海外との提携を選ばなかったのは、多分に堤清二氏の美学に拠るものと思われる‥‥このことについては、最後に付記する)。ほんの少し先行し小型店を実験出店した西友を、すぐイトーヨーカドーとダイエーが追いかけることになるが、前者が独力での実験出店であったのに対して後者は提携ノウハウを生かした出店。効率と勢いにおいて、分がよかった。

最初の頃は、マーケティング的な仮説に沿った出店(半径500メートル商圏に1店舗)を重ね、フランチャイジー希望者が現れても、同一商圏内に既存店舗がある場合は断わっていたほどだった。

しかし、やがて競合が激化し始める。自社ブランドのショップは500メートル商圏内1店舗としていても、他社が同一商圏内に出店してくると条件は変わってくる。利益を享受できる条件を超えてしまうのである。接近戦の開始である。

時には、あえて競合潰しを意図した接近戦を仕掛けられることさえある。「あそこのセブンイレブンはローソンに負けて閉店したらしい」といった悪評が立てば、競合相手の勢いを止めることができるからである(ハンバーガー・チェーンで、マクドナルドがロッテリアに仕掛けて勝利し、ロッテリアの反撃の兆しを摘みとってしまった“池袋戦争”というのもあった!?)。

競合が採ってくると予測でき、かつ一部では既に始まっている戦いに、イトーヨーカドー(セブンイレブン本部)が採った対抗策は、得意のドミナント戦略。エリア毎に集中出店し、当該エリアでの絶対的優位を確保しよう、というものだった。

勢い、フランチャイジー希望者の審査も緩くなっていく。同一エリアに2店舗、3店舗というケースも出てくることになる。中には、本部のフランチャイジーを無視した無謀な出店(約束が違う!)に怒り、売り上げの低下に耐え切れず、退店するケースも出てくるようになった。

しかし、その頃の本部の判断は「強い店が生き残ればいい。強い店が残っていれば、競合が出てきても負けない」というもの。まさに、カニバリズム容認。いやむしろ、カニバリズム推進の考え方だった。そして、その作戦は功を奏していった。もちろん、いくつかのフランチャイジーの犠牲の上に成り立った成功ではあったが‥‥。

     堤清二氏のこだわり‥‥大手スーパー3社のトップの中で、中内功氏と堤清二氏は魅力的な人物だった。二人ともワンマンであることは共通していたが、中内氏の商売人的個性に対して堤氏の文化人的個性は、好対照と言えるものだった。おそらく、お互い強烈に意識されていたように思う。

堤氏は、「事業は、僕の作品」と公言して憚らず、事業にもクリエイティビティやユニークネスを求めた。

「簡単に儲かりそうな店は作りたくない。赤字スタートくらいの方がいい。おもしろい店を考えろ」と、スタッフに命令している姿は、経営者と言うよりクリエイターそのものだった。そんな彼からすると、海外で他人が作り育てたシステムやブランドをそのまま日本に移植するという、人の真似でできあがっていくシステムやビジネスは唾棄すべきものであったに違いない。儲かることのみを成功とは考えない、という美学を持った経営者は、経営者として評価されないことが多いが、経営やビジネスのイノベーションは、そういった経営者のみが成しうることだと、僕は思う。VANの石津謙介氏もそういう人だった。

失敗すると、美学を優先していた分だけ「きれい事、やってるからだ」と叩かれがちだが、それはそれだけ目立っていたがゆえのこと。失敗に終わった例は、「儲けたい、儲けられそうだ」と始めたことの方が、枚挙に暇のないほど多いはずなのである。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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CVS(コンビニエンスストア)物語―ビジネスモデルの変遷 ①

記憶に頼った話だが、仕事等を通じて知った範囲内で、CVS(コンビニエンスストア)のビジネスモデルの変遷を顧みてみよう。

CVS(コンビニエンスストア)の第一号店が、どこにいつ誕生したのか、はっきりとした記憶はない。1970年代前半であったように思う。

VANの販促にいた僕は、新しい業態が誕生したこと、完全なセルフ・セレクション型だということ、住宅街に誕生したことなどを知り、“嫌な話だなあ”と言ったことだけは覚えている。

しかし、翌々年VANが倒産する頃には、CVSのオーナーにならないか?といった告知を散見するようになっていた。フランチャイズ・ビジネスが注目され、フランチャイズ・チェーンの仕組みと種類、成功の秘訣といった類の書籍も数多く出版されていた時期だったように思う。

ぼんやりとフリーになっていた僕にも、どういう縁か、ドーナツのフランチャイズ・チェーンの企画やフランチャイズ契約書の原案制作という仕事が舞い込み、2~3日缶詰になった記憶がある。

その頃からしばらくの間は、7~11(この店舗名は、業態の性格とメリットを明確に表しており、評価が高かった。やがて名前もシステムもイトーヨーカドーが輸入したものと知り、納得がいった)のフランチャイジー資格は、厳格に定められていたと思う。

特に厳しかったのは、家族経営が基本で、従業員を雇用してはならない、という条件。朝7時から午後11時までの営業ということは、開店準備から後片付けまでを考慮すると、労働時間は、ほぼ5~25(20時間)。家族で分担するとはいえ、朝5時から深夜1時までの労働を365日続けるのは容易なことではない。

この条件に違反して解約、この条件がキツクて脱退、といった話を、やがてよく耳にするようになった。

では、当初なぜそのような条件設定があったのか。それに関しては、以下のように分析できるだろう。

CVSは、言葉を換えると「ほぼいつも開いている“万屋”」。取扱商品は日用品から食料品。大型スーパーが大店法規制により出店できない住宅地や市街地に立地(大手スーパーがCVS事業に進出していった大きな理由は、大手スーパーが郊外型になることによってできる“商売の空白地域”を埋めることにあった)。となると、限定された商圏、単価の低い商品と、売り上げを大きく期待できない条件下でのショップ経営、ということにならざるをえない。その中で、フランチャイズ展開成功の秘訣“スタート時の成功事例作り”の鉄則からすると、条件は定まっていく。

ショップ経営が可能な商圏は半径500m。したがって、本部は1商圏1店舗の原則を守り同一チェーンの競合によるカニバリかkky()ズムは回避する。ただ、フランチャイジーの側も経費の増大を回避するために、従業員の雇用はしないこと。

つまり、家族全員の総収入としては豊かなものを約束できる業態でありチェーンだが、それはあくまでも労働に対する対価と考えていただきたい。ショップ・オーナーは、マネージャーではなく、あくまでもプレイイング・マネージャーなのである。という考え方。

そんなに稼げるビジネスではありません、と正確に認識することからスタートしていたのである。

そしてそれは、当初うまくいっていたように思える。良き時代である。しかし、事態は変わっていく。‥‥つづく

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「しない」と「できない」の狭間

脳卒中のリハビリの難しさは、「しない」と「できない」の狭間にあると思う。

セラピスト(療法士)の言葉で最も辛く、疑問だったのは「なぜ、できないかなあ」という台詞だった。

初台リハビリテーション病院の理学療法では、この台詞を数回耳にした。「お尻の筋肉に力を入れればいいんですよ。ここ!ここで!」「膝をこの状態で止められないかなあ」といった表現に、「それができればねえ」とか「それがうまくいかないんですよねえ」などと応えていたが、三度目の同様の言葉にはさすがに少々怒りを感じ、「おっしゃることができるんだったら、リハビリしてないいですよ」と、やや声を荒げてしまった。

現在主流の運動療法が正しいとは限らない、というのは通説になりつつある。脳細胞のダメージをいかに補填していくか、正解はまだない。

寝たきりになるのを避けることが主眼だった運動療法に対する疑問や反省を現場まで浸透させていくことが、運動療法も進化させていくことになると思うのだが‥‥。

そう言えば、「筋力強化で動くようになるんですかねえ、動かない筋肉の強化というのもねえ」と、口に出して様子を伺ってみた時、「他に方法ありますか?」と強い調子で問い返されたこともある。

そりゃないぜ!

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新しいことは、地方から-NHK、もっと頑張ってね~!

仕事に必要だからと、自宅のネット環境をCATVにして以来、とんと民放を観なくなった。観ると言えば、FOX、WOWOW、ミステリー・チャンネル、ヒストリー・チャンネルなど。しかも一週間分予約録画というスタイルなので、民放が流れているのは、さして観る意識もない“テレビ点けっ放し”の時だけ。予約録画のリストにも入らない。予約録画する地上波は、NHKのみとなっている。

ところが、予約しようと番組表を眺めていると、NHKの番組にはなかなかいいものが多いことに改めて気付いた。一斉同報的な民放各局のニュースや東京中心の単発情報ネタとは異なり、地に足の付いた、しっかりとした取材で構成されている番組が多い。スポンサーに気遣う必要はないのでニュートラルな視点を保つことができ、以前ほどではないが予算も必要な程度は確保されているので時間をかけることができる。なにしろ、全国に支局があるので、本質に肉薄する実感的な番組制作ができる。世界中に支局もあるので、世界情勢にも独自の取材態勢が組める。

視聴率(少ない標本、録画視聴はカウントせず、チャンネル権保有者分析もない、など問題が多い)に振り回され、話題になってから追いかけることで効率を追求。にもかかわらず、“おもしろさ”や“インパクト”を偏重するため、つまみ食い取材しかできない。

そんな民放キー局よりも、いい番組が作れるのも当然と言えば、当然か。

BBCのような高潔で粘り強い取材にも、政治的圧力に臆することなく、注力してもらいたいものだ。

先週、そんな“地方と海外に強いNHK”に、新しいことはやっぱり地方から起きているんだ!と改めて感じさせてもらった。

1.木内博一氏‥‥農業経営で注目されている人。経営者というよりも、志を一つにする仲間のリーダー。現場主義者でありながら、アイデアマン。決断が早く、行動力もある。スタートも早いが引き際の見極めもいい。先を見てリスクをいとわない。そのための準備も怠りない。

素晴らしいのは、彼を動かしているのが、功名心や自己の欲望ではないこと。農業への愛情と疑問、それに携わる家族や友人の労苦に報いてあげたいという強い想い。生産の現場を変えることができる人は、こういう人に違いない。注目と応援を忘れないようにしたい。

参考:http://www.farm-biz.co.jp/013manage_column/man020wagou/

2.益田ドライビングスクール‥‥僕の田舎、島根県益田市にある自動車教習所。若年人口が減少している上に免許取得を望まない層が増えているため、自動車運転教習所の倒産が相次いでいる中、年間卒業生数全国6位の実績を、人口5万人強の地方都市益田で残しているユニークな教習所。雇用確保を経営者の責務の第一義に挙げる社長の哲学とアイデアが、従業員と生徒双方のモチベーションにつながっている。

  参考:http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=158672151

徳川政権から薩長土肥政権に代わり、江戸・難波・京都の3極型から東京1極集中

型になって、約150年。地方から変わっていく予感が現実のものになるのは、い

つのことだろう。

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徹子の部屋で、野坂昭如夫人を観た。

初台リハビリテーション病院には著名人の方々が多い。と聞いていたが、長嶋茂雄さんと野坂昭如さんをお見かけした時は、リハビリのためにお越しになっているのに、不謹慎ながらちょっとうれしかった。

長嶋茂雄さんは、小学校低学年の時からの僕のアイドル。野坂昭如さんは、好きな作家の一人で学生時代にはよく読んだ。

野坂さんは、無頼を装いつつシャイでお茶目。正義感の強い、真っ当な価値観と価値基準を持った人だと、僕は思っている。

リハビリ生活の一端を女性誌で読み、微笑ましく思っていたので、徹子の部屋を観てしまった(お昼の時間帯なのに‥)。

やはり、微笑ましかったが、一点気になった。

「病院から、一日100回“立ち上がり”をしなさい、と言われている。筋肉をつけないとねえ‥」とおっしゃっていた点だ。

それはまさに、脳卒中発症者のリハビリで誤解されかねないことだからである。

初台リハビリテーション病院では、筋肉の鍛錬が多い。それは、早く“歩けるようになる”ためには大切なことだが、脳からの指令が途絶えているために思うように動かせない筋肉は如何ともし難い。僕は毎日運動していたのに、二ヵ月後の退院時、麻痺していた左側の腹筋の筋力は20%くらい落ちていた。

筋トレが解決してくれるとは限らないのである。

心配なのは、“もっと頑張らなくては!”と思う気持ちがストレスになることであり、真面目にやり過ぎてオーバーユースになることだ。

野坂さんがそれだけ頑張ってるんだから、私も‥‥。と思った方々がもし、この一文に出会われたら、お伝えしたいのは、次のことである。

野坂さんは、“立ち上がり”の数を誤魔化しながら楽しんでもいらっしゃるようだ、ということと、とにかく頑張り過ぎないこと。

リハビリも、楽しみましょう!と、声を大にして言いたい!

ただ鍛えるために歩くよりも、楽しいことに向かって歩いていった方が、僕はいいと思いますが‥‥。

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やっと出た!セブンイレブンジャパンへの排除命令

日々廃棄処分されているコンビニ弁当。その年間総額は、2000億円は下らない言われている。

ところが、コンビニ弁当、賞味期限直前の値引き販売は行われていない。“どうせ捨てるんだったら、賞味期限前に値引きして売ってしまえばいいのに!”と思うのが普通だが、それは一切行われず、賞味期限の一時間前には店頭からバックヤードへ移され、廃棄処分となる。バックヤードに移された弁当は、バイトの店員が食べたり持ち帰ったりすることも、原則として禁じられているようだ。

値引き販売が行われていないのは、フランチャイザーがフランチャイジーを厳しく規制しているから。

フランチャイザー(セブンイレブンジャパン‥‥本部)の言い分は、値引きしたものしか売れなくなる、“食品事故が起きてはいけないから、値引き合戦が始まりかねない、値引きしている時間帯に売り上げが集中しかねない、‥‥‥”といったものだが、実はもう一つ大きな理由がある。フランチャイジー(セブンイレブン各店)から支払われるロイヤリティは、廃棄処分にした方がフランチャイザーにとって“お得”になるような計算方式になっているのである。

それは、フランチャイジーの損失と裏腹の関係にあるため、フランチャイジーからの“見切り販売をさせてほしい!”という声は随分以前から上がってきていた。廃棄処分している弁当に関連するロイヤリティでセブンイレブンジャパンが得ている、年間200~300億円位と思われる利益は不当であり、フランチャイジーに返還すべきものである、との訴訟は6~7年前に行われ、確かセブンイレブンジャパンが敗訴しているはず。地方での出来事だからか、巨大な広告主だからか、ほとんど報道もされていないが、それほど古くて根深い問題なのだ。

*参考ブログ http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2136229

             http://www.dreamgate.gr.jp/fastnavi/legal/column/20090301/ 

フェアトレードよりも利益が優先されるようになってしまい、客が多く利益を多く出していることが優れた経営であるとの考えが定着してしまったかのような昨今。消費者の利益や満足を優先し、社員とその家族、さらには関連企業の幸せにまで配慮する、“徳のある経営”はもう望むべくもないのだろうか。

近代経営、アメリカ型経営、グローバリズム、新たなビジネスモデル‥‥‥。そんなことには、とっくに辟易としているのだが‥‥。

静かに、ささやかに、“正しかるべきこと”をやっていくしかないのであろう。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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初台リハビリテーション病院の思い出

山登りは、下り。海外旅行は、慣れた頃。仕事は、覚え始め。‥事故や失敗の起きやすいタイミングである。

ここ二週間で三回の尻餅。いずれも、立ち上がり一歩踏み出した時だった。安定しない左膝。時には痛みもあるため、注意深く体重を乗せた瞬間に、へなりと力が抜けた。

何も置いてない場所に、尻は着地。苦笑で済む程度のことだったが、なんとも不思議な感覚だった。安全な場所だからこそ、力が抜けたんだと思った。‥そういうことにした。

よくなっている時にこそ、事故は起きやすいものだから‥。と、思うことにした。

でも、少し気になる。初台リハビリテーション病院に入院して以降一ヶ月の目覚しい進歩を今も望むことは無理、とはわかっていても、まったく変化なしとは思いたくない。

パソコンに取り込んである写真をごそごそと開いてみた。

懐かしく、“初台の日々”が蘇ってきた。

リハビリ漬けの日々。スポーツ選手の合宿中のような日々に、苦しさや辛さのイメージはない。日々、前に進んでいると、多少のことは苦にもならない。

車椅子への移動も覚束ない状態で入院。二週間に57歳の誕生日を迎えた。

初台リハビリテーション病院の食事は、なかなか気が利いている。一週間分のメニューが予め病室に届けられ、朝・昼・夕と、和・洋2種類のメニューから選び予約することができる。予約しておけば、見舞い客も有料で一緒に食事することができる。

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Kapparチワワンe-poohKenちゃん夫妻の四人は、僕と同じメニューを予約して、病院内で誕生日会をしてくれた。

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ケーキには、“新生カッキー、おめでとう”との書かれていた。一緒の食事を、みんなで大いに楽しんだ。

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それから約一週間。わずかの距離が歩けるようになった。ふらふらとしているが、シャッターのタイミングによっては、しっかりとした歩様に見えなくもない。左手が“演歌歌手”になっているが、それは今も変わらない。

大きな進歩はなくなって久しい。左手は今でもほとんど使えない。しかし、そんな身体と気持ちの折り合いは、入院中についた。親しい人たちのお陰である。

“何かしてあげたい”という気持ちは、貴重なもの。それが阻害され消えていくのは、とても悲しいことだ。

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英会話のコツと介護・支援の現場‥‥つづきのつづき

転校後、すっかり馴染んだ頃に気になり始めたのが教師の言葉だった。

30代前半(くらいだった?)の彼は、ことあるごとに「本当に心で思ってないことを口に出すのは、どうかな?いいことかな?」と言っていた。

“それはそうだ!”と思うのだが、「“おはよう!”と言う時、“ありがとう!”と言う時、自分が本当にそう思っているのか考えた方がいいぞ」などと聞くと、ふと悩んでしまう。

後妻の責任感もあって、きちんとした子供に育てようと、母親は礼儀・作法に厳しかったが、教えられる “形”と“心”が必ずしも一致していないことも気になり始めた。

やがて、他愛もない言葉を発する時でさえ、時折「本当に、そう思っている?」と自問する癖が身に付いてしまった。友達同士で「本当に思ってる?」と投げかけあうようにもなった。そう言われると、誰もがたじろぎ、むきになり、強弁した。「本当だって!!」。

交差する欲望や価値観が軋み合わないように使われる“礼儀としての言葉”を失うと、ギシギシとぶつかることが多くなった。しかし、疑問を感じつつも、僕の中に「本当は、どう思ってる?」という言葉と、“正直であることが一番”という概念は、強く埋め込まれていった。

こうして、「急ごしらえの民主教育」に団塊世代の多くは、 “アンビバレンツな価値観”を植え付けられていった。

他人と折り合いをつけていく巧みさを備えつつ、本当の自分に辿り着けないもどかしさも内包している団塊世代。未だ行方の定まらない面倒な世代である(僕もそうだが‥‥)。

しかし、VAN倒産の前後、そのドタバタの中で、僕は“形”の大切さを痛感した。心などというものは不定形で移ろいやすく、確かな形の中にはたやすく納まるものだと思った。まるで、ヤドカリのようなものだとも思った。やや失望した。

そして、だからこそ、形の大切さを痛感したのだった。

感謝の言葉、思いやりの言葉‥‥。言葉が使えない時は、感謝のサイン、思いやりのサイン‥‥。そして、できることならば、楽しみを共有するための言葉やサイン‥‥。

民族が混ざり合う欧米の会話にある“形式”は、“口に出さなくてもわかること”をよしとする僕たちにも必要なこと。“わかってくれない!”と苛立つ前に、上手に言葉にすることを学ぶべきだろう。

習うより慣れろ!なのだ。

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脳卒中発症者には過酷な、気圧、気温の変化!‥‥でも‥‥産直が‥‥。

からりと晴れた夏日の日曜夜。「明日は、8度くらい気温が下がる予定‥‥。雨も‥‥」との天気予報に、思わず「え~~~~っ!」と声を上げてしまった。

とは言っても、出てきた声は麻痺の影響でかすれているので、どこか深刻さに欠ける。ちょっと、悔しい。

一日で起きる気候の大きな変化は、脳出血後2年半経った身体にも確実に影響を与える。じくじくと続く肩や腕の痛みは不快さを増し、どうしても握りこんでしまう掌には痺れが訪れる。尻餅にも注意を払わなくてはならない。

最も不快なのは、頬から顎にかけての痺れが増すことである。なにしろ、重要な楽しみ“おいしい食べ物をおいしく食べる”ことを阻害しかねない。

生産者の支援にもなるからと、ネットでみっちり調べ毎週末に到着するように注文している生鮮品(海産物主体)が楽しめないとなると、大打撃だ!

一週間仕事漬けのKapparのストレス解消も、海産物を前にして、ん~~~、どうおいしく食べるか~~、と腕を撫すことから始まり、おいしくいただくことで終わる、大切な週末の小さな宴。季候のせいで味を殺がれるのは困ったものだ。

ましてや、Kapparは、日曜日もパソコンと格闘!となると、その傍らで、味醂干しは~~?飛び魚のアラを乾燥させてダシにする作業は~~?などと気を揉んでいると、お前は食うことだけかい!!と顰蹙を買いそうなので、窓外をうらめしく眺めつつ、じくじくと心まで痛ませているしかない。

自然の一部になったんだと思うことにしよう!と思っている、気候の変化が与える身体への影響も、受け入れられない日曜日である。

ま、暢気な話ではあるが‥‥。

*ちなみに、生鮮の産直は、「お得でおいいしい!」。失敗を恐れずにチャレンジする価値はある。Kapparのブログに、料理の詳細が掲載される‥‥はず‥‥。

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英会話のコツと介護・支援の現場‥‥つづき

僕は小学生時代、島根県石見地方を中心に五つの学校を転々とした。

小学校5年生の一年間を過ごしたのが、島根県益田市立鎌手小学校。国道9号線沿いと日本海海岸沿いに集落が点在する、典型的な田舎町の小学校だった。お袋の実家の“離れ”に親子三人で居を構え、学校へは徒歩で通っていた。

クラスは二つ。多くの農家の子供たち、一部の漁家、商家、公務員の子供たちと、僕は机を並べることになった。

初日の放課後には、先輩の洗礼を受けた。裏山に呼び出されて1~2発殴られ、生意気だ!と言われた。意味がわからずきょとんとしていると、気に入った!仲間にしてやる!と開放された。

下校時には、同級生の男子数名にがっちり囲まれながら帰路に着いた。家が一番近いことに胸を撫で下ろしながら全員を家に招き、それまでの漫画とメンコ(“パッチ”と呼んでいた)のコレクションを開放した。惜しいとは思わなかった。

一ヵ月半後、僕は方言の違いにも慣れ、口にすることもできるようになっていた。奇異の目に晒されていた“坊ちゃん刈り”を刈った。バリカンの痛みに不覚にも涙が出たが、余分なものを脱ぎ捨てた爽快感があった。

そして、忘れられない夏休みがやってきた。すっかり仲良くなった数人の仲間と、小さな入り江に毎日通った夏休みだ。

小高いところを走る山陰本線の線路上を数百メートル歩き、小道をずんずんと降りる。やがて大きさを増す波音の方へと藪を抜ける。と、岩浜が開ける。塩の香りに吸い寄せられるように、仲間は海へと小走りになる。後を追う僕は足の裏がやわでゴム草履を脱ぎ捨てられず、小石に足をとられ遅れをとってしまう。膝の深さに到達し、身体を浸す。水着だけで日の光を浴び続けていた身体に、冷たくピリリと海水がしみわたる。

ひとかきして顔を上げると、浮き沈みしながら沖合いへと向かう仲間の背中が波間に見える。そこは、子供たちのプライベートビーチ。ルールを守れば、夕ご飯のおかず程度は獲ることのできる漁場でもあった。

丸刈りにしてよかった、と思った。方言を口にする勇気を持ってよかった、と思った。漫画やメンコをあげてよかった、としみじみ思った。

それまで身に付けていたものを脱ぎ捨て、今の居場所に身を委ねる‥‥。そうして、僕はひと夏で多くのことを学んだ。

初めて太陽の下に晒された僕の頭皮は、その夏、二回も剥けた。

二学期。僕はすっかり“鎌手の子”になっていた。

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